STORY

家族と風景

家族と風景

都心から1時間ほどの小田舎のここは、国道沿いなら買い物に不自由ないお店が並んでいるし、市街地は地方のそれのように自然が豊かである。低い山々に囲まれたこの地は、春は道端の野花が楽しく、夏は地元の子どもたちが川遊びで歓声を上げている。山はスギだらけなので花粉症の人には辛い場所かもしれないが、私たち家族にとっては何もかもが「ちょうどいい場所」と言える。

 

父と子ふたり

父と子ふたり

梅雨入り前なのにここのところ雨が多い。今日は天気の隙間を縫って息子と外遊びに行くことにした。小学校二年生の息子にはまだゲームを与えていない。周りの影響なのか、おねだりされることも多いが、我慢してもらっている。その代わりと言ってはなんだが幼少期からレゴをプレゼントしていた。幼い頃からおもちゃを手で触って、自分の頭で考えて、技術や能力、センスを磨いて欲しいと願ったからだ。

習い事のサッカーから帰ってくると、仕事もほどほどに身支度をして家を出た。

秘密の場所で息子と

目的地は自宅から車で20分ほどかかるが、以前住んでいた場所の近くなので馴染み深い上に、近隣に友人知人も多いので帰りにふらっと寄れるかなという思いもあった。何よりここは滅多に人がいない。

誰もいない秘密の場所で息子と焚き火なんて最高にオシャレじゃないか。プチ田舎に住んでいるからこそできる手軽で贅沢な遊びだ。

誰もいないだろうと思っていたら先行者がいた。どうやら撤収中のようだが、彼の方から「川の中洲でキャンプですか?」と声をかけてきた。今日は水量が少ないのか、隆起した川底の砂利があらわになって焚き火するのにちょうどいいスペースができていた。「焚き火だけしてサクッと帰る予定です。」と笑顔で返すと「そうですか、明日は雨のようなので」と。

短いやりとりだったが、日本人特有の侘び寂びあるやりとりが心地よかった。相手の心の機微を見逃さない思慮深さがある人は、気持ちのいい人間だろう。

 

うれしいようで

うれしいようで

そんなことを考えている間にも、息子はせっせと薪拾いを進めている。中洲に降りるとヤマカガシがヌルッと顔を出したが、こちらに一瞥をくれて、にべもなく何処かへ去っていってしまった。自然は大小様々な生き物がいて、我々はあくまでもお客さんなのだと再認識させられた。彼らの邪魔をしないよう、慎ましやかに焚き火を楽しもう。

夕方からだからか、準備しているだけで大して体も動かしていないのに不思議と腹は減るものだ。晩御飯はカレーと聞いていたので、ウィンナーだけ持っていきていた。その辺に落ちている木の枝をナイフで削って、ウィンナーを刺して焼いて食うだけ。大人には簡単なことかもしれないが、小学校低学年の子供にとっては大仕事だ。

ナイフは購入して数年、一度も研いだことがないが、さすがは土佐刃物。切れ味は良いままである。

  • ナイフ捌きの手際
  • ナイフ捌きの手際


ナイフ捌きの手際がいいのはレゴのおかげだろうか。思えば対象年齢が高校生向けのプラモデルもひとりで組み立てられる。手先が器用と言えばそれまでだが、想像力は培えたのかもしれない。赤子の頃と違って、ある程度育ってしまうと成長を目の当たりにすることが減ってしまう気がするが、こうしてふたり、外で向き合ってみるとその逞しさに驚かされるものだ。

いや、成長の曲線が緩やかになっているのじゃなく、成長を丁寧に見届けていないだけなのかもしれない。

  • 乾いた細い薪からじっくり火を育てていく
  • ウィンナーを5つも串刺し


乾いた細い薪からじっくり火を育てていく。その間、欲張りな息子はウィンナーを5つも串刺しに。焼いている間にどうせ落ちてひとつ無駄にするだろうなと思っていたが、食い意地なのか持ち前の集中力なのか、最後までちゃんと焼ききって食べていた。

こうしてただ焚き火ひとつ囲んでいるだけだが、色々な作業が発生する。刃物を扱う上での安全の取り方やフィールドへの配慮なども教えていかないといけないのだろうが、いまはただこの時間を純粋に楽しんでもらいたい。

 

終わらせたくないデート

終わらせたくないデート

「あの岩まで届いた方が勝ちね!」薪が燃え尽きるまで自然発生的に水切りを始める。すぐ勝負に出るところ、やっぱり男の子だな。なんだかお互いだんだんとフォームが本気になってきていないか。

自然の中で子供を遊ばせる

自然の中で子供を遊ばせることで、身近なものから遊びを生み出す創造力や、快活で健康的な心身を手に入れられるはずである。何よりかくいう私が一番この瞬間を楽しんでいる。自然体験学習なんて思ってはいたが、自分が息子とのアウトドア時間を堪能したいだけだったのかもしれない。

山に囲まれた場所だから、日が暮れるのも幾分か早い。

2回、3回と跳ねる石が水面につくる波紋に、家路の会話や、もう帰っているであろう妻との食卓を映しては消えていく。なかなか燃え尽きない薪も、勝負のつかない水切りも、私の幸せのための言い訳なのである。