STORY

テンカラ狂のうた

テンカラ狂のうた

6月の梅雨の晴れ間、妻と息子のゆうちゃんと釣りに出かけた。我が家では毎週のように家族で釣りに出かける。この日「森に行きたい」とゆうちゃんが言うのにはわけがあって、最近もっぱら本流域で竿を振っていたからだろう。この沢は昔から人が多い。車止めも多く入渓しやすい上に、野営できる平地も点在しているので玄人以上のキャンパーにも人気だ。この日は虫取り網をもって上を見上げている大人たちもたくさんいた。

 

血脈

遊びといえば釣り

うちは父母共に渓流釣りが大好きなこともあり、毎週末の遊びといえば釣りだった。生まれが埼玉なので秩父の山を中心に、夏休みはちょっと遠征して裏磐梯、銀山湖、奥利根と、北関東から東北の南の方まで連れて行ってもらった。
おかげで初めて竿を振ったのは5歳の時だ。僕は父の影響もあってテンカラだけじゃなく餌も楽しんでいたが、弟に至っては勝手にルアーも始めて、気付いたら自作のルアーを作るほど釣り好きに育ってしまった。

  • 渓流釣り
  • 渓流釣り

渓流釣り

妻は鱒釣り師の家系である。父方の実家はサンショウウオ漁が盛んな、いわゆる秘境である。当然渓流釣りも盛んで、祖父母共に遠征に行くほど大の釣り好きであったようだ。妻も僕と一緒で、物心つく前から竿を振っていたわけだが、そんな妻と特に釣りを介さずに出会ったのが不思議な縁である。

サポート

妻や子供と釣りに行くときは、僕は基本的にサポートに徹するようにしている。

釣果を上げてより釣りの楽しさを知ってもらいたいのはもちろん、自然の脅威から家族を守るのが親の勤めだからだ。川幅の広い場所ではなく、入渓しやすい小さな沢を選ぶのも安全を考慮してのこと。
いくら小さい沢だからと言って電波もなく、熊や蛇、スズメバチが出るような環境なので気は抜けない。五感を頼りに楽しむのが渓流釣りだが、自分の五感を信じ切るのも危険である。

 

眼差しの先に

ゆうちゃんはいま5歳

ゆうちゃんはいま5歳。僕が釣りを始めたのもそのくらいの歳だった。釣りに行くことに疑問を感じたことはなかったが、周りの子たちと違って遊園地や動物園に連れて行ってもらった記憶はない。それが不満だったわけではないが、自分の子供にはいろいろな体験を提供したいと考えている。朝は水族館や動物園、遊園地で遊んで宿にチェックイン、近隣の沢で夕マズメを楽しんだ後は温泉とノンアルビールだ。旅程の工夫次第で全部楽しむことができる。節約のために決まって安宿だが、僕も子供も”体験”というこれ以上ない価値を共有できていると思う。
何よりどんな遊びも常に家族みんなで共有できているのが、これ以上ない幸せである。
ゲーテが「空気と光と、友人の愛」と語っているが、そこに家族が加わったら本当に参ってしまうな。

  • 堰堤
  • 堰堤


10年前と比べると魚は減ってしまった気がするが、ゆうちゃんが初めて釣ったのもこの沢の堰堤だった。近く水力発電開発でその堰堤付近が潰れてしまいそうなのが残念である。記念すべき初めての場所はとっておいてやりたい。
竿を振っている時の集中力は、幼い頃の僕より高いかもしれない。キャスティングもだいぶ様になってきた。
フワッと自然に落ちる毛鉤を見て、僕は思わずニヤついてしまう。
子供にも釣りに関わる仕事をして欲しいかと聞かれたら、必ずしもそうではなく、自由であって欲しいと思う。僕は大学を卒業してから三十路を過ぎたあたりまでサラリーマンをしていた。幼い頃から親しんでいた釣りを仕事にしたくて、そこから独立して今に至るが、子供の将来は子供が決めればいい。何より「釣りに行きたい」って言ってくれるだけで満足している。

入渓、アプローチ、釣りと何度か繰り返す 入渓、アプローチ、釣りと何度か繰り返す

事前に気になっていたポイントへの入渓、アプローチ、釣りと何度か繰り返す。渓流は歩いているだけでも楽しい。仲間とテント担いでの釣行や、春には大好きな山菜が、夏は昆虫や動物が活発で、秋にはキノコが採れるし、季節によって渓相や匂いが違うのも醍醐味である。最近は冬の禁漁期であっても区間によっては毛鉤の釣りを解禁している川も増え、管釣り以外の選択肢も増えた。
冒頭でも語ったように、ここのところは専ら本流にのめり込んでいた。山歩きや渓流そのものも付加価値的に楽しめる渓流釣りとは違って、釣りという行為に真正面から向き合わなければいけないのが本流だ。そして真逆のことを言うようだが、山のことを知れば知るほど釣れるようになるのも本流なのである。山と本流の魚は連動しているというのが正しいだろうか。

 

攻守交代

  • 息子と重なる
  • 息子と重なる


子供の頃から真似事で始めて、そのうち釣れるようになったテンカラ。初めて魚を釣ったのは、うろ覚えだが、父に連れて行ってもらった日光ウェスタン村付近のヤマメがうじゃうじゃいる沢だった。当時は岩魚を釣るのが苦手で、ヤマメを最初に釣った身としては、あの”もっそり”というか”ゴソゴソ”としたあたりの感覚が掴めなかったものである。父の釣り仲間連中には「アワセが早すぎる!」とよく言われたものだが、アタリが取りにくいんだもんよ〜と不貞腐れ気味だった。
苦手な岩魚を釣ったのは今でも鮮明に覚えている。新潟の五十沢キャンプ場近くの堰堤下、岩魚の沢だ。どうせ今日も釣れないだろうとしらけた顔で毛鉤をやる気なくぷかぷか流していた。何も考えずにふと竿を上げると、そこに岩魚がかかっていたのである。
釣ったと言うより、釣れたと言った方が正しいだろうか。今では岩魚を釣るのは得意な方だが、自分にもそんな時代があったんだよなと、今目の前で苦戦している息子を見て重なる部分がある。

  • 釣れた!
  • 釣れた!

釣れた!

流心終わりの波が開くあたりに毛鉤を流すと「バシャン!」という音と”ズシン”という感覚が突然やってきた。直感的にデカいとわかったが、釣り上げてみたら27cmの立派なヒレピンの天然モノだ。この沢では岩魚なら尺も釣り上げたことがあるが、平均寿命の短いヤマメが餌の少ない場所でここまで育ったのは見事としか言うほかない。

 

いつか、長良川へ

釣れた!

釣りを始めて35年近く経つが、実は全国津々浦々を遠征してるわけではない。東京の23区外、インターも近く関東近郊の渓流にアクセスしやすいところに住んでいるので、フットワーク重視で場所を選んでいる。今まで行ったことのない川で行きたいところはと聞かれると、パッと思いつくのは長良川だろう。何度も言うようだが「テンカラで本流を釣る」を最近のテーマにしていることもあり、郡上の本流釣りに惹かれているのだ。
書籍でしか触れたことがないが、今でも釣りが文化としてしっかり残っていて、アマゴの職漁師の歴史も深い。そんな川でテンカラ竿を振ってみたいという思いがあるが、今日のところはこのまま帰りがけの本流域でもう一度竿を出そうと思う。

-Profile-

土屋

土屋大介(つちや だいすけ)
1983年生まれ。39歳
埼玉県熊谷市生まれ
アパレル関係の会社で8年ほど勤務したのち、幼い頃から慣れ親しんできた釣り、キャンプ、ファッションを掛け合わせた提案ができないかと、都内に釣具やウェアなど幅広いアイテムを扱ったお店をオープン。現在実店舗は閉店したが、オンラインストアでそのセンスに触れることができる。渓流での実践的なテンカラ釣り教室も営み、YouTubeやSNSなどで日々テンカラの魅力を発信し続けている。奥様共に祖父母の代から家族全員が釣りキチという、まさにサラブレッドだ。

インスタグラム
https://www.instagram.com/go_tenkara/

YOUTUBE
https://www.youtube.com/c/GOTENKARA

ONLINE
https://www.gotenkara.com/