STORY
山の上のぶどう畑より


父が逝去して早くも三年が経つ。未曾有のコロナ渦が始まったタイミングと同じなので、慌ただしい年となった。仕事を辞めて地元に帰り、農家を継ぐ。都会に未練も何もない僕は、自分の意志で地元の土を踏んだ。

学生の頃は教員を目指していて免許まで取ったのだが、自分の進路に散々悩んだ挙句、アウトドア系ブランドの販売員をすることに。なんとなく30歳になったら地元に帰ろうと決めていたので、それまでに好きなことをしたいという思いからだ。
勤めていたブランドのお店には足繁く通ったこともあり、憧れでもあったので、そこで得た経験や友人は今の自分にとっては欠かせないものとなっている。
むしろエネルギーのある20代だったからだったからこそ、東京と大阪という2大都市で働けたのかもしれない。
今はほったらかし温泉で有名な山梨県山梨市で農家をしている。ユニフォームなどを扱うスポーツ用品店で接客販売の仕事もしているので、いわゆる兼業農家ってやつだ。
我が家の男方は代々兼業農家である。父も平日はサラリーマン、週末は畑に出ていた。なのでメインで畑の世話をしているのは母ということになる。土地も畑も父方のものだが、畑の広さが5反しかないので、いずれかが兼業じゃないとなかなか厳しいものがあるのだ。

もちろん腕前は半人前。師匠は母親だ。特に今年は母親も体調が芳しくなかったので、僕が畑を見ることが多かった。父の代わりとしてはまだまだ頼りないだろうけど、早く一人前になれるよう精進するのみである。
我が家の畑では巨峰、ピオーネ、シャインマスカットの3種を育てている。どれも8月下旬から9月いっぱいまでが収穫時期だ。自慢じゃないけどめちゃくちゃうまい。
育てるにあたって一番苦労しているのは「摘粒(てきりゅう)」という作業だ。房の形を揃えたり果粒を大きくするために必須の行程なのだが、これがまた難しい。経験と技術が必要なのだが、チャンスが年一回しかないからなかなか身体で覚えられるものでもない。
ともあれ苦労した先に成った実っこは格段に美味いのである。
娯楽のない田舎町だけど肌に合っているんだと思う。子供の頃の遊びといえば川遊びでサワガニを捕まえたり、夏の夜はクワガタをとったりと、どこの田舎の少年も通るであろう王道を歩いた。30を超えた今、川遊びは渓流釣りに、夏の虫取りは地元の居酒屋「歩成(ふなり)」でのビールに変わったが、景色だけはあの頃のままだ。
地元をチャリでえっちらおっちら。視界に入ってくる風景を眺めながらそんなことを考える。
東京や大阪にいたときは夜寝ていると必ず人の声が聞こえてきたが、ここでは虫の声しか聞こえない。自ずと睡眠の質も上がった。うちのブドウがうまいのは土や水、空気や光が綺麗っていうだけじゃなく、喧騒とはかけ離れた場所だからなのかもしれない。
田舎の人あるあるかもしれないが、これだけ自然に囲まれているとキャンプに行くことはない。ブドウ畑の中は天然のタープのようなもので、びっくりするくらい涼しい。雨の日でも葉っぱが傘がわりになるし、雨粒と葉がぶつかる音がなんとも言えないくらい好きだ。


まじめで厳しく、家庭内では無口だったが愛情深かった父。容器で明るく、地元でも人気者の母。性格は決して似ているとはいえないが、とにかく仲の良かったふたりがたい大切に育ててきたこの畑は、いつか倍の広さまで拡大したいと思っている。農家一本で食っていきたいというのもあるが、自分が自信自信を持って美味いといえるこの子たちを、もっと多くの人に届けたいからだ。甲府盆地を眺めて育つブドウ。多くの人に届けと、僕は今日も畑に向かう。