STORY

自己と向き合う
フィールドワーク

自己と向き合うフィールドワーク

特別アウトドアってわけではないけれど、やっぱり自然豊かな場所で過ごすのは気分がいい。都会の喧騒を離れて、穏やかに自分の時間を過ごすのは、誰しもが内に秘めている願望なんじゃないだろうか。いつもはデジカメを片手に写真を撮ることを仕事にしている私も、たまには頭を空っぽにして自分の作品に向き合おうと、たっぷり一週間時間をとって、親が持っている伊豆の別荘にやってきた。

 

賑やかで静かな
自然に触れて

  • 賑やかで静かな自然に触れて
  • 賑やかで静かな自然に触れて

東京で過ごす日常よりも3時間早く目が覚めた伊豆の朝。起きた瞬間に不機嫌になってしまうようなスマホのアラームではなく、鳥のさえずりに起こされるのは気持ちがいい。窓を開けてデッキに出るとまだひんやりとした朝の空気が感じられて、気分は爽快そのもの。1日を有意義に過ごさなきゃというプレッシャーを感じるくらいの清々しさがそこにあった。

朝のヨガは、フォトグラファーとしての私の身体作りを支える重要な日課。正直ダルい朝もあるけど、やっぱり身体は私の一番の資本だし頭の中もスッキリするから、いつも寝ぼけながらも身体を動かしている。

紫陽花

今泊まってる別荘は、娘たちが成人したあと、やることがないからと両親が購入したもの。それ以来、ふたりは結構な頻度で滞在していて、今では東京と伊豆の2拠点生活をしている。この別荘に来るのは両親がいる時ばかりで、こうして一人で過ごすのは実は初めてのこと。自分の家だけど自分の家じゃないような不思議な感覚に、なんだか馴染めていない。

この拠点を手に入れてからは、父は庭作りに熱をあげていて、留守を預かった私に、草木への水やりと雑草とりだけはやっておいてくれと念を押してきた。ひと月も開けていたのにそんなに荒れた感じもなく、家人がいないうちに紫陽花は見ごろを迎えていた。

 

一人の時間を楽しむ

  • 自家製ドリンク作り
  • 自家製ドリンク作り

こんな穏やかな感じで始まった今日も、予報では真夏日。梅雨のジメジメした鬱陶しさがないのは良いことだけど、やっぱり暑いのはゲンナリしてしまう。

そんな中でもさっぱりできるようにと、朝ごはんを食べた後は自家製ドリンク作りに興じてみる。レモンを冷蔵庫から取り出して作ったのは、数年前からハマってよく作るようになった、ビヨンセのおばあちゃんのレシピのレモネード。「Redemption」という曲の歌詞にあるとおりに、473mlの水とレモン8個の果汁、約225gのグラニュー糖、そしてレモン半分の皮をすりおろして攪拌。最後にふきんで漉したら完成だ。使うレモンの大きさによって毎回違う味が楽しめるんだけど、今回は果汁たっぷりの酸っぱい系の仕上がりに。炭酸水で割ってリフレッシュするには最高だった。

フィルム撮影

レモネードといえば、海外では家庭的な夏の定番ドリンク。 外国人が暑い夏に冷えたレモネードを飲むとき、日本人が麦茶を飲むときのようなノスタルジーを感じるのだろうか?

そんなことを思いつつ、午前中のうちにこの前撮った写真を見返して、自分のHPに載せる写真を選んでみる。もちろんデジタルで撮る時も一枚一枚本気だけど、やっぱりフィルムはその重みが増す。フィルム代が高騰していることを差し置いても、自分がシャッターを押す場面が減っているというのは、自分がわかってきて、作風が固まってきたのか、それとも冒険心が薄れてきているのか……。

  • 自分にとっての休息期間
  • 自分にとっての休息期間

心を穏やかにするために、一週間も具体的な予定は立てず、彼も東京に置いて、一人ここでゆっくりしている。これって自分にとっての休息期間なのだけど、普段はこんなふうに過ごすこともないから、なんとなく焦る気持ちもある。ただ、今日はファインダーの先をのぞいてシャッターを押すときのように、丁寧に1日を過ごしてみようと今日は決めたのだ。

 

カメラを抱えて高原へ

カメラを抱えて高原へ カメラを抱えて高原へ

伊東にある別荘は山手にあって、一歩出ればそこは森。10分も歩けば海にも出られる。だから写真の被写体は溢れていて、野生動物や草花を撮ることもできるし、港の風景や堤防で糸を垂らす釣り人たちを写真に納めるのもいいかもしれない。そう思いつつ、クルマに乗って向かったのは見晴らしの良い稲取細野高原だった。

ここは別荘から30分ぐらいの場所で、前に山菜取りのためにやってきたことがあったものの、散策をしたことがなかった。ハイキングコースを歩いて丘の上に立てば、相模湾と伊豆諸島が見渡せるというので、改めて写真を撮りにやってきたのだ。

  • 重量がある中判のフィルムカメラ
  • 重量がある中判のフィルムカメラ

いつも使っているミラーレス一眼の倍以上の重量がある中判のフィルムカメラを持ち出したのは、いつもとは違うスタンスで写真と向き合ってみたかったから。被写体を探して画角を決めたら、レバーを押してフィルムを巻き上げて、ダイヤルを回して露出とシャッタースピードを調整。そして、引き蓋を取り出してようやくシャッターが押せる。フィルム一本で10枚までしか撮れないし、当然仕上がりもその場で確認することなんてできない。でも風景を切り取って、フィルムに写すというアナログな感覚は、写真を撮る者として意識しなくちゃいけないと感じさせてくれる。

秋になると一面が黄金色のススキ野原になるこの高原は、その昔、茅葺き屋根の材料をとるための茅場だったそうで、今はちょっと通なフォトスポット。2月に山焼きが行われて一面焼け野原になるのに、夏にはその面影を感じさせないほど青草で覆われている。風にたなびく緑が、山の起伏によって淡いグラデーションを作り出しているのが美しかった。

写真には写らない美しさ

この空の、海の、草原の壮大さを、どうすればうまく切り取れるんだろう。360度カメラならいいという話ではなく、どうしたら見る人に感動を伝えられるか。写真には写らない美しさを表現しようと思うのは烏滸がましいかもしれないけれど、いちフォトグラファーとして、挑戦する姿勢は忘れずにいたいと思っている。