STORY
小さな命の記憶を
瓶に残して

釣りというのは、時にとても静かな敗北を教えてくれる。魚醤を仕込もうと決めたのは、海が沈黙を貫いた日に、ぽつんと残された小さな命のせいだった。あの日、愛車のFIAT PANDAに釣り道具とARAYAの小さな自転車を積み込んで、海へ向かった。自転車でぐるぐるとポイントを探しては、何度も竿を出したけれど、海はとても静かだった。 ほとんどアタリもなく、魚の姿も、気配もない。
釣れない日の贈りもの

バケツのなかでは小さなカタクチイワシやサッパが数匹、かすかに泳いでいた。まったくのボウズではなかったけれど、釣れたことを喜べるほどの結果ではない。本来ならリリースしてもよかった。でも、それには少し遅すぎた。
「せっかく命をもらってしまったのだから、何かの形でちゃんと使わせてもらおう」 そんな気持ちが、心の奥で静かに湧き上がってきた。僕は一度家に帰り、冷蔵庫を開けるのではなく、棚の奥にしまっていた保存瓶を取り出した。
魚醤を仕込む静かな作業

この命たちは、食卓のご馳走にするには食いでが足りない。だから、保存瓶と塩、そして少しの麹を取り出した。魚醤を仕込むことにしたのだ。
魚醤は、作り方だけを見れば驚くほど簡単だ。魚と塩、そして麹。これを瓶に詰めて、あとはときの流れに預けるだけ。やがて瓶のなかで、魚の形は溶け、命の記憶は琥珀色の液体となって現れる。これは調味料というより、ひとつの命の記憶を料理の中に残す行為かもしれない。

料理にするには物足りない量の、サッパやカタクチイワシ
魚醤作りの手順はいたってシンプルだ。

まずは小魚の鱗を軽く落とし、内臓を取り、水気を拭き取る。今回はサビキ釣りだったので、胃の中のコマセを避けたくて内臓は使わないことにした。 魚醤の独特のクセを和らげる意味もある。

そしてお次は、小魚頭から尻尾まで余す所なくぶつ切りに。大きさはお好みだが、表面積を大きくすると発酵も進みやすくなる。
そして魚の重さを量って、魚70に対して塩20、麹を10(乾燥麹なら7くらい)を目安に混ぜ合わせる。麹を加えることで、発酵が進みやすくなり、やさしい甘みが加わる。

発酵食の多くは、食材の保存性を上げるために生み出された暮らしの技術だ。思いがけず獲物がたくさんとれた日、山の実りが良かった年。先人たちは、食材を無駄にすることなく、保存食に作りかえてきた。縄文時代から保存食の概念はあり、塩を加える=塩蔵という手法で腐敗を防ぐことが多い。
塩というのは天然の防腐剤として非常に有用だ。 例えば植物性タンパク質を発酵させた醤、味噌や醤油ならば塩分濃度は13〜18%が一般的だが、動物性タンパク質を使用する魚醤は確実に腐敗を防ぐために少し濃いめの20%を目安にする。これだけで食品は腐らなくなる。

あとは、煮沸消毒したガラス瓶にギュッと詰めて、蓋をするだけ。常温の冷暗所に置いて、あとは気長に待つ。一日一日、目に見えない発酵が進んでいく。
気付けば瓶のなかに
“季節”がいる

瓶を棚の隅に置いておくと、不思議なことに時々その存在を思い出す。「今日は少し暖かいから、発酵が進んでるかな」とか、「そろそろ瓶を少し揺すってやろうか」とか。そしてちょうど忘れかけた頃に、醤が出来上がる。
魚醤は、放っておくだけでできる。だけど、まったくの無関心ではダメだ。週に一度は瓶を軽く揺すり、中身が腐敗ではなく発酵の道を進むように気を配る。たまにふたを開けて、香りを嗅ぐ。まだツンとした生臭さがある時期もあるけれど、それを過ぎるとだんだん、発酵のうま味のような匂いが立ち上がってくる。

だいたい3ヶ月を過ぎたころから、瓶の中の魚が液体に変わり始めた。茶色く澄んだ液体が、ゆっくり上澄みとして現れる。それを丁寧に漉せば、いわゆる魚醤がとれる。
でも、僕が面白いと思っているのはそのあとの話だ。漉したあとの残り──いわゆる“もろみ”の部分。普通なら処分してしまうようなその残渣を、僕はフライパンで乾煎りして保存している。そして、次の釣りの日にはサビキ釣りのコマセとして再利用するのだ。

釣った魚を発酵させて、出てきた搾りかすでまた魚を釣る。ぐるりと一周して、命が命を呼ぶような不思議な循環が、そこにはある。たぶん、こんな使い方をしているのは僕くらいだと思うけれど、それもまた、小さな自然遊びの楽しさのひとつだと思っている。
魚醤を使って、一皿をつくる

魚醤は同じタンパク質を発酵させた醤=大豆味噌などに比べると発酵速度が緩やかだ。塩分濃度も高いため、酵素や微生物の働きも鈍く、ゆっくりと時間をかけて変化していく。仕込む季節にもよるが大体1年ほどは寝かせる。
やっと魚醤が完成するとやっぱり試してみたくなって、さっそく魚醤を活かしたシンプルなアヒージョを一つ作った。

フライパンにたっぷりの油をひき、鷹の爪とニンニクを入れてから、ゆっくり加熱をしていく。香りが十分に油に移ったら、そこに具材を入れていく。 旬の野菜を中心に、ここぞとばかりに冷凍庫で眠らせていた鰆や猪肉も加えていく。これらも自分で釣ったり狩猟で獲った肉だ。
そして最後に、自家製の魚醤をほんのひと垂らし。味付けはこれだけでいい。

魚醤は、普通の醤油に比べて旨味を多く含むため、これだけで驚くほど深い味になる。魚のワタは使っていないから市販のナンプラーよりもやわらかく、深みのあるうま味が野菜の甘みを引き立てるのだ。

自然遊びが、暮らしの味になる

狭山茶の生葉から仕込んだ自家製紅茶
釣れたかどうかよりも、何を感じ、自分に何が残ったのか。自然のなかで過ごす時間は、いつも「遊び以上の何か」を置き土産にしてくれる。

FIAT PANDAに詰め込んだ小さな遊び道具。ポタリングの途中に偶然出会った釣り場。命と向き合うことを教えてくれる、狩猟の時間。静かに発酵していた魚醤が、食卓にのぼったあの日。
そんなことを考えながら、自分で仕込んだ狭山茶の紅茶をひと口すする。

どれも全部、つながっている。そしてこれからも、こういう遊びを続けていきたい。
自然に向き合い、自然に遊んでもらう。そのかけらを持ち帰って、暮らしのなかに少しずつ残していく……。それが僕にとっての、自然遊びだ。
note:
38 TUNES (Yuu Miyahara)